質問<3690>2008/2/27 from=かもめ 「多角形の内角」
これは、「Yahoo!知恵袋」に投稿されていた質問です。
「現在中3なんですが、正n角形の内角の和は180(n−2)°だと習いました。
その式にあてはめると正100角形、正1000角形と角の数がたくさんになると
その内角は限りなく180°に近づいていくと思います。しかし角の数を増やしていくと
最終的には円という形になっていくと思うのですが、
そもそも内角が180°の円の形の図形なんてものはありうるのでしょうか?
また、円の内角は180°なんですか?
うまく説明ができませんが、僕を納得さしてください。 」
「内角は180°」というのは、ひとつの内角が180°と言う意味です。
しかし、質問者が中学生なので、回答者もうまく回答ができなかったようです。
僕も、この質問が気になるので、高校レベルの数学で、解説をお願いします。
★希望★完全解答★
僕もYahoo!知恵袋見ましたが、大変良い回答が集まってると思いますよ。
まあ、あれ以上の回答となれば難しいんじゃないんですか?多分。
問題は、
その式にあてはめると正100角形、正1000角形と角の数がたくさんになるとその(一つの)内角は限りなく180°に近づいていくと思います。
と言う一文です。これは正しい。間違いありません。
ただし、勘違いしてほしくないのは、「180°に近づいていく」≠「180°である」と言うことです。
確かに、現実的な感覚では「超多角形は円に近づいていくだろうしそんな物体は(技術的に)作れないだろうから、円盤になっちゃうだろうな」と言うのは正しいです。しかしながら「正しい日常感覚は常に数学的感覚を代弁しているワケではない」って事なんですよ。ここを勘違いすればダメなんです。
数学が問題にしているのは、あくまで「数学的抽象性だけ」なのです。
ちょっと別の例を挙げましょう。
良く、面白い例として挙げられるのは物理学の基本的な概念、速度ですね。
速度は微分公式を用いて、位置の変位を、経過時間をtとして次のように「古典力学では」表現されます。
では、ここで、議論をシンプルにする為、変位に着目してみます。一体ここで議論されている微小変位とは一体何なのか?「距離を限りなく小さくしていって」「変位を0に近づけて行って」一体どうなるんでしょうね?
「移動距離(変位)」が微分可能である数学的な大前提は関数が「連続である」と言う事です。
まあ、物体が宇宙戦艦ヤマト
みたいに「ワープして」地点Aから地点Bへいきなり移動する、って事はあり得ないワケですから、「自然と」この関数は「滑らかである」と言う条件を満たしています。
と言うことは数学的操作により微小変化は実際観察できそうに思えるんですが、それがそうは問屋が卸しません。僕等の日常の感覚的視点では「物体が術らかな経路で移動している」ように見えても、経路を拡大していくと、「滑らかな」と言う前提は崩れ去っていくのです。一般的に原子くらいに小さい粒子は「色んなモノにぶつかって」ギザギザに見える経路を辿ります。ちっとも「滑らか」じゃありません。従って微視的観点で滑らかじゃない以上、なんて計算は成り立ちませんし、数学的概念を「そのまま」現実の世界に持ち込んでも上手く行かないって事ですね。
では数学はやっぱり役に立たないし間違っているのか?と言うとこれは愚問になるでしょう。そうじゃなくって、「(僕等が見ている範囲での)現実を数学的抽象力で如何にモデル化してるのか?」と言うのが本当のトコなんです。数学は「説明を上手く展開する為の」道具であって、必ずしも「数学自身が」「全ての現実」を上手く説明するワケではないんです。また、それは数学の目的でも範疇でもありません。
いわば抽象力が数学の本質的な部分であって、あくまで「概念的操作」を提供するツールなのです。上の例も「物理の世界では数学の微分が破綻している」と言うような話ではなくって、「物理でも適所に適した数学を適用しなければならない」だけです。微小世界では「また別の数学を」持ち込めばいい、と言うだけの話なのです。
では元の議題に戻ると、
その式にあてはめると正100角形、正1000角形と角の数がたくさんになるとその(一つの)内角は限りなく180°に近づいていくと思います。
と言う一文は数学的には
と書き表せます。
上記の式を実際Maximaででも計算してみたら分かりますが、
確かに
です。
ただし、上記の式の意味も
nが限りなく大きくなっていくとは180に限りなく近づいていく
と言ってるだけで、
nが限りなく大きくなっていくとは180になる
と言ってるワケではありません。この2つの文(ないしは文意)を混同すればダメだ、と言うことです。前者は数学ですが、後者は「日常感覚的なモノ」であって数学ではありません。
そもそも内角が180°の円の形の図形なんてものはありうるのでしょうか?
あり得ません。
まあ、一応円の定義をWikipedia辺りから引っ張ってきますが、そこにはこう書かれています。
数学において、円(えん)とは、平面(2次元ユークリッド空間)上の、ある点 O からの距離が等しい点の集合でできる曲線のことをいう。
角度がどうの、って考える以前に多角形の定義を見ると、
多角形(たかっけい、たかくけい)とは平面上の閉じた単純折れ線、および平面上の閉じた単純折れ線によって囲まれた図形を指す。
ここで
- 折れ線とは複数の線分をその端点でつなぎ合わせてできる曲線を言う。
- 曲線が単純であるとは、曲線が(端点以外では)自己交差しない事を言う。
- 曲線が閉じているとは、長さが有限で端点を持たない事を言う。(厳密にいうと、さらにコンパクトでなければならない)。
と書かれていますね。
ここで、
数学においては、曲線にはその特別な場合として直線や線分の概念を含む。
そうですが、「単純折れ線によって囲まれた図形」である多角形と「ある点 O からの距離が等しい点の集合でできる曲線」である円は定義上折り合いません。多角形が円を含む構図も考えられませんし、逆もまたそうですね。要するに、定義が相反してると言う事です。
いつも言ってますが、数学は定義からスタートするモノであって定義が食い違えば全ての議論は意味が無いのです。ここでも「nが大きくなった多角形は円に限りなく近づいていく」と言うことは出来ますが「円そのものになる」と言う事が定義上あり得ない、って事が分かるでしょう。つまり、数学的な概念上は、例え実作業で作図が難しいにせよ、正1,000角形は正1,000角形ですし、正10,000角形は正10,000角形以外の何者でもないんです。
(ちなみに、Wikipediaで見つけたんですが、理論的にはコンパスと定規だけで、正65,537角形を描けるそうです・笑。当然これは円の作図そのものではありませんね。)
まあ、そんなワケで、むしろ「高校レベルで」と言うのなら、「近づく」はあくまで「近づく」である、って事を理解しておく程度でいいのではないでしょうか?同一視しちゃダメだ、と言う事です。
例えると、いくらIKKOが「綺麗に化粧しても」女性に近づいて行く、とは言えますが、「女性そのものになる事は無い」って事と同じです(違うか・笑)。
以上です。